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プロローグ① 4/8(金) DDDDD ディーゴ

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この物語はフィクションです。実在の人物、団体、商品名とは一切関係ありません。
  # は専門用語なので文末に説明があります。



「前胸部誘導がST上昇しています!」
Slow flow#1です!」
「末梢が造影されません!TIMI Grade 1#2!!」

聞き慣れない専門用語が飛び交うカテーテル室内に、術者である男性医師の声が響く。
「まずはニトプロを静注します。その後にIVUS#3で確認しましょう。血圧も低めですね。念のためIABP#4も用意しておいて下さい。」

ゆっくりとした、落ち着いた声。一瞬でカテーテル室をカオスからコスモスへと転換させたその医師の名前は毒島龍介。江戸大学病院循環器内科の主任教授である。





金曜日の午後。1週間にわたる病院全体の新人説明会のオリエンテーションが終わり、来週から循環器内科を回る予定の初期研修医3人で挨拶のため医局を訪れた。
教授が
PCI#5 中とのことでカテーテル室に案内されたが、挨拶どころではないことは誰の目にも明らかだ。

情報を聞きつけたのか続々と院内の循環器内科医が集まって来ている。すぐに10人以上の医師が集まるところは大学病院のメジャー科ならではだろう。

その中に見覚えのある顔を見つけた。江戸大学医学部のテニス部の3学年先輩である宮沢淵男(ぶちお)先輩だ。
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お互いほとんど練習に参加しない、いわゆる幽霊部員だったこともあり、テニスの試合中はよく観客席に並んで応援していた。僕はパソコン部、宮沢先輩は軽音サークルに大学時代は没頭していた。
学生時代から変わったこととしては顔や腹に肉がついたことだろう。医師になって痩せする人と太る人がいるが、どうやら太るタイプのようだ。短髪だった髪も無造作に伸ばし、横に流している。
総合診療科の後期研修医だが、今は循環器内科医として働いている。

一点の光を見つけた。話しかけるタイミングをはかりながら少しずつ近付く。
すぐ隣まで来て、いざ話しかけようとした時、
「またか‥」宮沢先輩が呟いた。




(また‥??)

話しかけるタイミングを逃した僕は、厳しい顔でカテーテル室の中を凝視している横顔を見ながらその場に立ち尽くした。
沈黙が続く操作室。バタバタと人や物が動くカテーテル室内と対照的だ。

と、その時
「すみません、来週から循環器内科をまわる予定の初期研修医1年目の寺西です。ご挨拶に伺ったのですが、このまま見学していてもよろしいでしょうか?」

一緒に来ていた初期研修医の寺西ジョージが突然言葉を発した。その彫りの深い端正な顔立ちから容易に想像できるが、ジョージはアメリカと日本のハーフ。ただ幼少期に両親が離婚して、その後は日本で母親と2人で暮らしていたため英語がほとんど話せない。高校の頃の一番苦手な教科が英語で、そのせいで2年も浪人したという信じがたいエピソードの持ち主だ。
しかしこういう場でも物怖じせず話しかけることが出来るのは、やはりアメリカの血が半分流れているからだろうか。

宮沢先輩も初めて僕らに気づいたようだった。

「うん、いいよ。そこの椅子に座ってて。お、ディーゴじゃん!そういえば循環器内科スタートって言ってたね。」

「お久しぶりです。よろしくお願いします!あと、病院でディーゴはやめて下さい。」

そういえば、僕にディーゴというアダ名をつけたのは宮沢先輩だ。デイダイゴでディーゴ‥6年前テニス部の新入生歓迎コンパの時に即席で付けられたアダ名だが、これで大学生活6年間の呼び名がディーゴで定着してしまった。

「ごめんごめん。病院では出井先生って呼ぶことにする。ところで、いま何が起こっているか分かる?」

全く理解出来ていない僕はジョージの方を見て助けを求める。

冠動脈にステント#6を置いていたのは分かるのですが‥」

さすがのジョージもボソボソと歯切れが悪い。

そこへ後から小さいながらも透き通った声が聞こえてきた。
distal emboli#7‥でしょうか?」

聞き慣れない医学用語を話すその女性の名前は早乙女麗華、同じく来週から一緒に循環器をまわる女性研修医だ。普通は“麗華”なんて名前を付けられたら残念なことになりそうだが、レイカの場合は決して名前負けしていない綺麗で華やかな容姿の持ち主だ。
この3人で2年間、初期研修医として各科をまわることになっている。
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「あー、君は渋谷大学医学部出身の早乙女レイカさんだね!君も循環器まわるんだ、楽しみだな。そうそう、いろんな可能性があるけど血管内皮機能障害#8distal emboli#7が考えられるよね。つまり血管の壁が傷んでいたり、末梢側に小さい血栓が詰まってしまうことね。まあ今回は緊急ではなく予定のステント留置だから血管内皮機能障害の可能性は低いけどね。」

そういえばこの先輩は医学部のテニス部の頃からよくしゃべることで有名だった。それにしてもなぜレイカの出身大学まで知っているのだろうか。
おしゃべりな男は、更に捲し立てるように続ける。

「それにしてもさすがは才色兼備で有名な早乙女レイカさん。わざわざ渋谷大学までミスコン見に行ったよ。循環器に興味あるの?今度飲みに行こうか!」

他大学のミスコンまでチェック済とはこの男の情報収集能力は計り知れない。ただここは合コン会場ではなく病院のカテーテル室で、しかも合併症の緊急対応中だ。もともと空気の読めないタイプだが、美女を相手にすると更に読めなくなるのは学生時代から変わらないようだ。

しかしレイカもサラリとかわす。

「循環器領域が苦手なので心臓カテーテルの本を買って予習していました。よくある合併症ですか?」

「うん、諸説あるけど概ね1~3パーセントかな。特に緊急カテーテルの時などはバタバタしているし抗血小板剤の血中濃度‥いわゆる “サラサラの薬の効果” が十分でないことも多いからね。ただ術前にしっかり準備しているカテーテルで、こんな立て続けに起こることは考えにくいけど‥あっ‥」

口を滑らせたようでバツの悪そうな顔をしている。学生時代“江戸大学医学部のスピーカー”と言われていた口の軽さは相変わらずのようだ。明らかに聞こえていたはずの周囲の医師や技師も、聞こえなかったふりをしている。

しばらく時が止まったように静まり返る室内。

その沈黙を破ったのは、少し鼻にかかったような妖艶な女性の声だった。さっき電話をしながら出て行った女医さんが戻ってきたのだ。
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「教授のPCI#4はまだまだ続きそうだから、金子准教授から循環器内科研修の説明をしてもらいます。研修医の3人は准教授室に行って下さい。」
言葉の主は近藤ゆり子。年齢不詳・奇跡のアラフォーの異名をもつ循環器内科初の女性医局長である。

場の空気も微妙になってしまったため僕達3人は医局の准教授室に向かった。


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#1:冠動脈内の造影剤が遅延すること
#2:TIMI = Thrombolysisi in Myocardial Infarction Trial 冠動脈の血流の程度の分類 Grade 1は明らかな造影遅延があり、末梢まで造影されない
#3:血管内超音波 血管内部の断層画像をみることができる
#4:大動脈バルーンパンピング 心臓の働きを助ける補助循環装置
#5: Percutaneous Coronary Intervention 経皮的冠動脈形成術
#6:心筋梗塞や狭心症で冠動脈の狭窄部を広げる金網
#7:遠位部塞栓  カテーテル治療時の合併症
#8:一酸化窒素(NO)などの血管作動物質の産生が減り、 血圧上昇・炎症・血栓形成の原因になる
#9: Percutaneous Coronary Intervention 経皮的冠動脈形成術


登場人物